去年から、実家の耕作放棄された畑を耕し、自給自足を始めた。が、何も収穫できず。。。
草が生えないように、黒いビニールが全面に敷かれた畑、4年前に亡くなった父が畑仕事をしなくなったのは、いつからだろうか?長い間、太陽に当たらず、草が生えなかった畑。
コロナ騒動が始まって3年、色々考え、色々と動いた。色々変わった。私も変わったし、環境は激変した。全ては良いように変わった。一つ一つ、不要なモノ、無駄な思考を「エイや~」と外していった。最初は、氣合と勇氣が必要な作業だった。そのうち「面倒くさい」「氣がすすまないなぁ~」と思う事を「これは本当に必要な事???」と深堀りし、「え?どうでもいいことじゃん!」と氣付き、「や~めた!」とか「一抜けたぁ~!」と声に出して、その執着から離れることが自然に出来るようになってきた。訓練だね。お陰で体も心も楽になっていった。無理や我慢、執着を一つ一つ外していくと、まんまの和多志、自然のまんまの小林洋子が顕れ始めた。なんと楽な事か!まだ、時々つくろってしまう事もあるだろうが、長年繕ってきたから、仕方がない。自分は繕う必要全くなくて、自然のまんまのそのまんまで素晴らしい!真っ裸のピッカピカ玉の赤ちゃんに戻るには、あと少し!
大地も同じ!不自然な黒いビニールを外すところから始めた。何年、直接お日様の光を受け取ってなかったのだろうか?現れた土は固く固く、耕して畝つくるのに初心者の和多志は、時間がかかった。でも、何故か楽しかった。畑の土がホッとしているような氣がして。。。思いっきり新鮮な空気を吸うことができたから?思いっきり温かい日の光を浴びれたから?
私のご先祖様を生かしてくれたお土様、開放感一杯で凝り固まった体をほぐして笑っているみたいで、私まで楽しくなった。
色々種を買ってきて、撒いてみた。芽が出ない。出ても大きくならない。少し大きくなったら実を付ける前にシカに食べられる。と全滅だった。秋に落ち葉の御布団をお土様に掛けてゆっくり休んでもらったこの冬、私の畑は幸せだったかなぁ~?美しい雪❄の毛布に覆われた。お土様自身、心癒してくれたかなぁ~?
啓蟄 小さな小さな力持ち達が土の中で動きだしてくれているかな?春来るよ。ゆっくりでいい、自然に戻そう。元氣に楽しく、人も木も草も虫も微生物も獣もみなみなうれしうれしたのしたのし生きようよ。
明日、自然農の川口由一さんの「妙なる畑の会 見学会」に参加してみようと思う。とても素敵な言葉を発信して下さっているので、このブログで紹介させていただきます。明日の予習も兼ねて(笑)
~草や虫を敵にしない~
地球上で人類だけ、水田でお米という草の作物だけ、畑でキャベツという草の作物だけ、では、一つの生命圏で存在し得ません。いろんないのち達が自然にそこに在ってこそです。
いろんな小動物が住める環境は、いろんな草があってこそです。
一枚の田畑の生命圏に自ずから存在する多くのいのちすべてが生きるに任せ従っておけば、そこには常に豊かないのちの舞台となります。
草たち、虫たちを敵にしないで、あるがままの自然に任せておけば、いのちが大いに栄えます。それは、とりもなおさず作物を生かし、私達を生かしてくれることになります。
そこで食べることのできるものを採集すると採集生活ですが、お米やキャベツを育てる栽培生活でありますので、目的とする作物が他の草に負けないように、草の生育を押さえる必要があります。特に幼い時期には足元の草を抜き、成長初期には近くの草を刈り、その場に敷いておきます。作物が青年期へと育てば、足元にいろんな草があり、いろんな小動物が生きている方がいいのです。あるいは他力において、環境において、虫との関係において、乾燥具合や湿り具合において、土を流出させないことにおいて、土を豊かにすることにおいて、草は絶対必要です。草は敵では決してありません。
栽培生活をしているという認識に立って、草に負けぬよう適期に草の成長を抑え、最小限の手を貸してやります。
虫についても同じです。自然界においても自然農の田畑においても、害虫益虫の別なく、有効無効の別なく、すべてがゆえであってこそに誕生し、そこに今を生き、そこに死んでゆきます。いずれも一体となって、この今の絶妙の営みに欠かすことのできないいのち達であり、いのち達の営みを更に豊かにするものでもあります。
従って、殺虫殺菌剤等々の農薬、除草剤は不要にして、決して用いてはいけません。虫が多く発生し、害を多く及ぼすことが生じるのは、栽培のあり方に問題があるからであって、特に耕して肥料を多く投入すれば、自ずからなる虫を害虫に追いやることになります。
תגובות