あっちにふらりこっちにふらり、二股三股多いのう。
それだけ己が理解足らぬということの証拠でありますなぁ。
ご都合主義で身を隠し、敵にも見方にも成り済まし、世渡り上手が誠の人の在り方と思い込んでおるようなれど、人に嫌われ恨まれる生き方じゃなぁ。
手の平返す者は、どこへ行っても信用得られん故、孤立するのぞ。
因果じゃなぁ。善じゃ悪じゃ、真か嘘かと申す前に、人としての義、仁、愛、みなみな改めて学ばねばならんぞ。
和とは築いてゆくものじゃ。
ただの仲良しこよしの集まりではないのぞ。
言いたいこと言わぬ仮面被りた者の集まりは、善の仮面被りた嘘つき集団ぞ。
己以外は皆異なるのじゃ。己とて現在以外は、過去も未来も異なるのじゃ。故に異なるのが当たり前でありますぞ。違いを理解し合って参るが、築くことでありますぞ。
戦いではないぞ。理解し合うのみぞ。揉まれて揉まれて良き茶は生まれるのぞ。
語らいなされ。出会いに感謝しなされ。違いを愉しみなされよ。
縁ある者とは、そなたの学びの糧でありますぞ。他悪く申し、己良く申すは、幼児性の顕れじゃ。ちやほやされとうて泣いておる赤子の同じじゃなぁ。
時、場、状況、人、それぞれ対応出来るようになるが学びぞ。それ故、経験させておるのじゃ。個々に与えられた教育課程ありますのぞ。
ここぞと思ったならば、腹に入れなされ。しっかり読み込み、身になされ。数こなすことではないぞ。取り違えいたすでないぞ。
神示、身にするのじゃ。何度でも己に語り、導くのぞ。
自己教育せねば癖は直せんぞ。癖、死んでも、生まれ変わりても付いてまわるものでありますぞ。取り違い多いのう。
何信じておるのじゃ。信じ込まされたのじゃ。靈人殿も間違いだらけでありますぞ。神人悪くもうすなよ。生きておる靈人ぞ。死んで偉くなりませぬわいのう。どの時代のどの国で生きたかで、嘘の擦り込み異なるなれど、思い込み取り違い致して、何をどのように何のために拝んでおりますのじゃ。邪教は消えてゆく定めと申しておるではないか?
靈団とて、邪教集団であれば、泡の如く消えて過去の記憶の一つと化すのじゃ。
手放せよ。勇氣問われておりますぞ。所縁(ゆかり)あるほどに愛おしくなりて、魔でも邪でも手放せぬわいのう。
魔が最後に仕組んだ巧妙な罠は、同情心に噛み付くことでありますぞ。噛み付かれたら、毒廻りて泣いて手放せなくなるのぞ。苦しみもがきながら、変わらぬ選択させられる最後の最後の御試しじゃなぁ。
魔はどこまでも抜け目ないぞ。故に、神示腹にいれなされと、くどう申してきたのじゃ。
悪魔は、地より立ち去ったのじゃが、悪魔の仕組み、中々よのう。人民個々に植え付けられておる故、洗脳解けた者から、神世の立て替え立て直しの御役に入られますぞ。
先に行く者、指導者として、皆を導きなされ。しっかり己の掃除洗濯、整理整頓、終わらせなされよ。成り済ましては、皆に笑われますぞ。でしゃばるなよ。礼節、大事になされよ。頭、下げなされよ。喜びに意を手向け笑いなされよ。皆のために仕事なされよ。肉体、尊びなされよ。
うれしうれしじゃなぁ。あっぱれ、あっぱれ、神世の生き方へと参るのぞ。
変わる変わる、変わるぞ。
2022.2,3
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