母は、昔の事を面白おかしく語ってくれる。
今日は石松ひいじいちゃんとその息子金重(きんじゅう)おじいちゃんとのおもろい関係性について。
私が覚えている金重おじいちゃんは、いつも笑ってた。寝る前は歌を歌ってた。杖をついて道路のど真ん中をスタスタ歩いていた。杖いらんやん😹。学校から帰って来たら、「ヨーちゃん、帰ったこ??」と何度も聞いた。ウザかった。おじいちゃんが入った後のお風呂は垢だらけで、いつも垢だらけの上澄みをすくってやっと湯船に入れた。離れが火事になった時「よ〜燃えとるや〜」とただただ眺めて居たらしい。おじいちゃんは適当で楽天家で心の赴くままに生きたいように好き勝手に生きた人だった。努力と忍耐なんて言葉はおじいちゃんにはなかったのではないか?明治生まれのおじいちゃんは、生きづらさを感じていたのか?実際私はおじいちゃんのことをパッとしない抜きん出たもの一つもない普通より下の人格とジャッジしていた。何様〜?!な私だ。そう考えると義務教育、社会全体の評価というものは、合理主義、効率主義、優生学に根ざしたもので、それが脳みその奥の奥まで染み込んでいる。私だけでじゃない。みんなだ。
さて、話を戻そう。石松爺さんと金重爺さん親子だ。石松爺さんは、堅物、努力家、先見の明あり、リーダーシップは半端なく、根性と度胸でやりきる集落の長だった。例えば、大東亜戦争中のこと、召集令状(赤紙)が届いた家は、田舎なので噂はすぐに広がる。そして「出征おめでとうございます!万歳!」と送り出すのが当たり前の重い空気感の中に集落の人たちも縛られていた。しかし石松爺さんは違った。赤紙が来た家にすっ飛んで行き、その若者に必死で「絶対に帰って来い。逃げてでも帰って来い。国の命令よりお前の命の方が何倍も何倍も大切だ。国の為に死ぬなんぞアホなことするな。お前にはお母ちゃんがいる。子供もいる。嫁さんもおる。お前の命はお前だけのもんとちゃうぞ。絶対死ぬな。帰って来い!帰ってくると約束せい!」すごい剣幕で泣きながら怒りながら、若者が「生きて帰ってくる」と言うまで、叫び続けたらしい。また、戦況が悪化し始めた日本は、本土決戦が始まるから女子供もアメリカ兵に見立てた藁人形を竹槍で突き刺す訓練を日本各地でやり始めた。プロパガンダはマックスだ。今のコロナ騒動と同じ空気感。そんな竹槍藁人形訓練を大真面目にしている人たちに向かって「お前らアホか!飛行機で焼夷弾落とすアメリカ兵が丸腰でお前らの前にやってくるはずないやろ」「アホな戦争に気づかんかぁ〜」「日本人はほんまにアホに成り下がったぁ〜」と叫んでいたらしい。母はそんな石松爺さんがいつ憲兵に捕らえられて拷問され殺されてしまうかといつもヒヤヒヤしていたらしい。石松爺さんの逸話は、いや実話はまだまだあるが、ここではこのくらいにして大体の石松爺さん像を想像して下さい。今現在2021年の概念で考えると、素晴らしい人格者の石松爺さんとどうも頼りない金重爺さんの間柄は、糠に釘、暖簾に腕押し、馬の耳に念仏、そんな関係だった。どっちがどっちか分かるだろう。親子だ!金重爺さんが生まれてから、石松爺さんが死ぬまで計算したら63年間。この親子気が遠くなる時間、糠に釘、暖簾に腕押し、馬の耳に念仏の喜劇(?)を本気で大真面目でやって来たのである。
石松爺さんは、息子である金重爺さんと小林家の将来を憂いでいた。苦労に苦労を重ねて積み上げて来た土地、山、家、財産を子孫たちに渡せるだろうか?渡さなければならないという使命感は息子である金重爺さんには全く伝わっていない。子供の頃から厳しく育てたが、その自覚のない我が息子に毎日苛立つ石松爺さん。言って聞かせ、見せて聞かせても金重爺さんは、能天気に鼻歌を歌っている。石松爺さんの朝早朝の日課は金重爺さんに、ひと息つく間もない農作業スケジュールを言い渡し、細かい指示を与えることから始まる。金重爺さんは適当に聞いている。適当に聞いている金重爺さんに、更に事細かに何故この作業が大切であるか?何の為か?苛立ちながら、石松爺さんは金重爺さんに解く。そして石松爺さんから逃げるように金重爺さんは農作業をしに出かける。石松爺さんの目の届かない遠い場所(火の谷)から作業のスタートだ。石松爺さんは”金重はちゃんと仕事しているだろうか”、”解いた意味をちゃんと考えただろうか?と心配をする。そしていつも最悪のコトを想定し、それが起こらないように考え、予想し、幾通りもの予防線と、良い方向に進める為の準備を怠らない。石松爺さんの頭は常にフル回転だ。しかし、金重は帰ってこない。心配になって山に行ってみると金重はいない!どこに行ったのだ?と探すと、金重爺さん、仕事もせず、その山の麓の川で歌を歌いながら、水浴びしているではないか???!顔を真っ赤にして怒る石松爺さん、一応神妙な面持ちで頭を垂れる金重爺さん。コレ、毎日の光景であったと母は笑いながら語る。また、母は石松爺さんのあまりの剣幕に、子供心に石松爺さんは本当の赤鬼になった!と思ったらしい。
さあ、親子でありながら、毎日このような喧嘩が家の中であったのである。今も昔もこのような喧嘩はあるある!だ。では何故石松爺さんは声を荒げる?金重爺さんが仕事をせずに遊んでいたから!端的に言えばコレが原因だ。しかしもっと深く考察してみよう。 石松爺さんは、誰から見ても人格者であり、世の中の常識を上回る、人の心も思いやれる常識を持っていたと思う。常に上昇思考であり唯物論者であった。明治政府の画一化改革が知識ある人々に浸透した時期に石松爺さんは大きな影響を受けたと思う。その証拠に石松爺さん有志とともに丹波の片田舎の大原が新しい世の流れに立ち遅れないように、体を張って幹線道路を引かせた。郵便事業も重要と考え、国と府と掛け合い郵便局を立てた。そして発電所に農協、駐在所と次々にこの集落の発展のために尽力した人なのだ。将来を予想し、こうあるべき青写真が石松爺さんの頭にはあったのだろう。
江戸時代は、人々は点々バラバラ好きなように生きていた。長い江戸時代は争いもなく豊かな文化が育まれた。みんな幸せに生きて来た。 しかし明治政府は、イギリスや西洋文化がコレからの日本の行く道と号令をかけて、江戸時代の生き方を否定し、遠い外国をお手本に知識人初め、子供達に画一的な教育を日本中で始めた。暦もグレゴリオ暦に変えた。日本人の宗教観も常識も大衆意識操作プロパガンダによって画一的な方向へと持って行かれたのだ。
表題の「尼寺」も昔はあちこちにあったらしい。我が家の敷地にも小さな尼さんの庵があったらしい。コレも一集落に一つの寺にせよ。転々バラバラに尼さんが寺を構えたら明治政府は管理できないではないかぁ〜!ということで沢山住んでいた尼さんはどこかに消え、お寺が一集落に一つ建立された。コレも画一化。酒蔵も画一化され、どぶろくを個人で作ると逮捕された。心の悩みを身近な尼さんに相談し、自由に酒を作り好きな仲間と飲み歌う、みんなで分け合い、助け合う集落の民が中心の国、日本が中央集権化し、中央が管理しやすい体制に全てが全て画一化されたのだ。それが良いこととその時人々は信じ切ってその歯車となるべく日本国民は真面目に必死で働いたのである。消された尼さんもどぶろくも集落のみんなが笑顔で生きることが出来る潤滑油だったのだ。歯車の民は摩耗し、ギシギシと悲鳴を上げながらも「画一的な豊かな暮らし」という妄想の人参を目の前にぶら下げられて走り続けるしかなかった。潤滑油を絶たれた民は、中央から頂くしかなくなった。明治、大正、昭和、平成と欲しいだけタダでいただいていた恵=潤滑油を次々と長い時間をかけて巧みな言葉で中央政府は民から絶って行った。各家にあった井戸や山水が衛生的に問題というプロパガンダで水道事業となり、現金を稼ぐために山村の若者たちは集団就職という形で村を出た。大地を耕す者がいなくなった山村は活気が無くなった。それでも山に残った父母はいずれ都会に出た子供や孫のためにと自然林の山を杉、檜の人工林に変えた。国が補助金を出し、いずれ成長した木が売れてお金になるというプロパガンダを信じて。お金になる農業を模索し、農協の勉強会に参加し、農協から借金をし、農協の言う通り借金でハウスを建て、タネを買い、化学肥料を買い、農薬を買い、除草剤を買い、やっと出来た野菜は安値でしか売れない。借金だけが残り、土は疲弊し、収量は減る。化学肥料と除草剤は世界で一番CO2を排出しているとい言う真実を知らされず、今もホームセンターで売られている。
地球の恵みは人だけでなく、草木、虫けら、動物 みんなで分け合うもの。
ところが水、土、空気、食べ物、動物、人までも一部のトップの人間たちが所有し、管理するためのシステムが明治維新後、着々と時間をかけて作られて来た。
「今より豊かになりたい」「明るい未来にしたい」「幸せになりたい」その指針をその方向性を示す機関が教育と政府、中央政府は、新聞、テレビ、映画などで流行、ブーム、常識、マナーを作ったのだ。意図的に作ったのだ。
民は社会の歯車、会社の歯車になり、給料をより多く貰う&稼ぐ、より高い地位を得る
という訓練が教育だったのだと令和になって、いやコロナ騒ぎが起きてから氣付いた。
今はみんな根無し草だ。地球と繋がっていない。
経済成長、豊かな暮らし、いかにもそれが良いものと捉えてしまう。しかしそれがみんなが目指す将来と言う印象操作なのだ。経済成長して心豊かになったか?それで幸せになったか? ある意味、真面目で堅物な石松爺さんは、国が進める全てのプロパガンダには乗らなかったが、大筋で乗って先頭切って進めて来た。
一方、金重爺さんは、「今より豊かになりたい」「明るい未来にしたい」「幸せになりたい」その指針と方向性に全く興味を持たず、こんな風に思っていたのではないか?
「今、こうしてご飯が食べられて、住む家があり、歌を歌って笑って生きているだけで十分豊かで幸せ者である」お爺ちゃんには明るい未来しか見えなかったのだろう。いや、未来なんてことに心煩うなんてしなかった!が正解だろう。だから寝る前の金重おじいちゃんの鼻歌は聞いている私でも思わず笑ってしまうヘンテコな鼻歌だったのだ。
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