この神示は、
鏡の如く
御魂相応に
心を
すべて映し
表に顕れ
始めて
参ります。
「大日月地神示」は、日本のシャーマンである神人を通じて、異次元世界より降ろされ続けた、地球人類に対しての救世の神示である。この神示はかつて、艮金神(うしとらのこんじん)が出口ナオを通して「大本」のお筆先として伝え、さらには岡本天明を遣って「日月神示」を表した霊団からの、現代の霊言である。
はじめに
この度は、御神示を通じて皆様とお引き合わせ頂きましたこと、心より感謝申し上げます。これまで長きにわたり、人々にお伝えする事がどれほど難しいことか、様々な機会を頂く中で学ばせて頂きました。
やはり世の中には色々な方々がおられますので、置かれてある立場や環境、受け止め方も、皆それぞれ多種多様であると重々承知いたしております。そのような状況下で、この度このような神示なるものを世間に出版させていただくということに対する葛藤と、己は今生いったい何をしなければいけないのか?という自問自答を繰り返しながら、一つ一つ真摯に向き合い、気持ちを整理整頓いたし、ようやく現在に至っております。
振り返りますと、神示が降ろされ始めました当初は、正直もうしまして、どこか他人事のようであり、ふと我に返ると己の言動と行動に対して不安と疑念が阻み、己自身を良く理解出来ておりませんでした。その後も日夜、異次元世界と現次元世界との狭間で、数え切れぬほどの不可思議な霊験を通じ、色々な学びをさせて頂きながら、守護霊様・指導霊様方のお導きによって私は大きく考え方や生き方が変わっても参りました。現在では、出来るだけ多くの方々に神示をお読み頂きたいという思いと共に、ご縁ある方々に対して、己を通じ伝えられてくる霊存在からの言葉を誠心誠意お伝えいたして参りたいという決意と使命感を強く握りしめております。
世間では、シャーマン(霊媒師)とはなかなか受け入れがたき存在でございましょうが、数ある職業の中の一つであり、職人の一つであるとご理解いただけましたら幸いに存じます。
さて、私が霊団霊人らの媒体となり、神示を降ろし、『大日月地神示』を出版するに至りました経緯を、簡単ではございますがご説明させて頂きたいと思います。
私は、十代後半の頃より、人は何のために生まれ、何のために生きてゆくのか?そして、人は死んだらどうなるのか?世の中はなぜこのような仕組みになっているのか?・・・・など、強い疑問を抱き、時折心の中の神様に対して「どうか真実を教えて下さい」と祈り続けておりました。そのような心境のまま、1992年を迎えた東京にて、ある日、勝手に身体が動くようになり、ふと気づけば街を彷徨い歩きながら某書店へと吸い込まれてゆき、足が止まった先は、あらゆる宗教書が立ち並ぶ一角でした。
なぜ己がこのような所に来ているのか?己はいったいどうなってしまったのか?何ものかに憑りつかれてしまったのか?と疑問渦巻く中、首は左右に動き、目もひとりでに何かを探し始めました。
そして、なぜかとても興味をいだかされるような心情になりながら手にいたした書籍がございました。それが『ひふみ神示』岡本天明・筆でした。宗教書を読むのは、それが初めてであったという事もあるでしょうが、訳がわからぬまま書を開きページをめくるごとに、なぜか嬉しくなったことを今でも記憶いたしております。それから毎日のように神示を読まされるようにして、拝読の習慣がついて参りました。そして長年に渡って何者かに導かれるかのように、全国各地の神社をただただ漠然と世界平和を祈願し、参拝いたしながら巡るようになってゆきました。
振り返りますれば、すべては守護霊・指導霊様方らのお計らいであったという事が、現在では理解出来ております。
そして1998年和歌山にご縁を頂き移住いたしたある日、姿の無い何者かわからないはっきりとした声だけが聞こえ始め、何もわからぬままに恐る恐る対話がはじまってゆきました。暫くすると音声だけではなく映像まで浮かんで見えるようになり、現次元世界と重なって別の視覚聴覚が同居するようになってゆきました。私は心身の異常による幻聴幻覚であろうという恐怖と不安、己に対する疑念だけが日々続く中、言い尽くせないほどのあらゆる不可思議な霊験を日夜させて頂きながら月日は流れてゆきました。
己を罵倒するような邪なる者も現れれば、涙がでるほどありがたくなるような者も現れ、沢山の存在と関わって参りましたが、後にそれらの現象が心身の病による幻聴幻覚ではなく、異次元存在や他星の存在との交流がなされ始めたのであることを、守護霊・指導霊様方の教えを通じて理解できるようになると共に、異次元存在たちとの信頼関係も築かれて参りました。
そして、霊意識の覚醒と共に霊媒体質というものを受け入れて生きてゆくという強い覚悟の受けで、方向性や指針となる物を考え始めた時、指導霊にお教え頂いたキーワードが「ボランティア」「菜食」「祈り」という言葉でありました。また後に「伝える」というキーワードも頂き、自分の生き方を更に模索してゆきました。そして次々と導かれながら、現次元と異次元の双方より必要な出会いを頂くと共に、指導霊より与えられたキーワードがまるで小説の伏線であったかのように不思議と繋がり始め、己の価値観・人生観が一変いたしてゆきました。
私が霊媒として覚醒いたし、シャーマンとして生きるようになるまで、またはなってからの経緯詳細に関しまして、ここでは話しきれませんので、また別の著書にてお伝えさせて頂きたいと存じます。ご興味あります方はお読みいただけましたら幸いです。
さてそれから時は流れて、2006年6月6日(みろく)、パソコンを始めて間もない頃、ブログを書こうとPCを立ち上げた時、いつもとは違って研ぎ澄まされた強い氣に突き動かされるかのように、非常に速い流れで言語や数字、あらゆる記号・図形が脳裏に浮かびあがり、自分では脈絡の分からない言葉が連なり始め、両手はひとりでに動きながら、次々とキーボードを弾いてゆきました。
最初に書かれた「あ」の巻の締めくくりに、天の日月の神と記された時、私は非常に困惑したことを思い出します。果たして、このままブログにて公開して良いモノなのかどうか?何度も信頼できる守護霊・指導霊様方に伺い、間違いないと穏やかに諭され、その言葉を信用いたし、その後もブログにて公開してゆくこととなりました。神示を継続する動機の一つには、それまで一度も感じたことのない爽快感と宇宙を漂うような浮遊感にも似た、表現しがたい快楽の中でなされる自動書記への不思議な魅力もまたありました。
しかしながら、こうして自分を通じて降ろされるには、いったいどのような意味があるのか?本物なのか?偽物なのか?なぜ自分に降ろされているのか?毎回、自動書記が終る度、そういった不安と疑念にも苛まれ、改めて人に伝えるという事に対する勇気が問われ続けました。ですから、疑念と恐怖から何度か自動書記を拒絶したこともありました。
そして激しく拒絶した際に、指導霊たちやかつて『ひふみ神示』を降ろされた岡本天明氏の御魂が表れ、「これからの世の中に必要な教えとなる書を降ろしてもらっているから理解してほしい」とお願いされたのでした。それまでは、何者か分からない存在の言葉を伝える事に対する不安が、自動書記に対して抵抗する一番の理由でしたので、説明を受け納得したことで私は安心し、神示を降ろすという役目を最後まで果たす約束を霊団と交わしたのでした。
それから、かつて私が指導霊より伏線として頂いていた「伝える」という言葉を改めて思い出した時、深く感銘いたしました。非現実的な日常の中で幾度となく葛藤を繰り返しながらも自動書記を続けてきましたのは、おそらく霊団霊人らとのたくさんの交流の中で信頼関係が育まれていったことにより、あらゆる不安と恐れが払しょくされ、与えられた役目に対する使命感と指導霊たちとの一体感が確かな喜びとして感じられるようになっていったからでありましょう。
『大日月地神示』は、指導霊団の教えによりますと、かつて岡本天明氏が自動書記にて降ろされた文章を矢野シン女史が解読なさり世につたえられた『日月神示』(別名・ひふみ神示)の続きであり、間違って伝えられていたことや伝えきれなかったことに対して補足する内容も含まれているようで、現代版の神示とのことです。
2006年6月6日「あ」の巻から始まった神示は、インターネット上のブログでは「天の日月の神」というタイトルで出させて頂いておりました。その後、2007年6月14日「よ」の巻まで出され、「書といたすように」という神示の一節に従い、戸惑いもございましたが、ブログをご覧頂いておりました方々より製作資金援助をして頂きながら、2007年7月7日付けで「日月地神示」として、自主製作にて出版させて頂きました。この時の「日月地神示」というタイトル名での出版に関しましては、当初意味がよくわかりませんでしたが、「ひとまずは、この名で良い」と指導霊に云われたことを覚えております。
その後、「ら」「り」「る」「れ」「ろ」「わ」の巻と神示が降ろされまして、2012年再版の際にお伺いを立て、初版の内容に付け加えさせて頂いた次第でございます。
それ以降の神示に関しましては、いつ降ろされるものなのかわからない状況でありましたが、数年が過ぎ忘れかけた頃、2014年10月22日より再び不定期ながら神示は降ろされ続け2016年8月25日に出た段階で、また指導霊に書として公にするようにと言われ、今度は「大日月地神示」というタイトルにするようにとお教えいただき、2016年10月、野草社から出版させていただきました。
その後も神示は降ろされ続けまして、2017年12月27日、「この神示、世界中の民に読ませて下され。すべての者救う書となりますぞ。神、お頼みいたしますぞ。大日月地大神御霊」と神示は締め括られました。「大日月地神示」は、どうやらこれで終了ということです。これ以降も降りることはないということでした。そして、インターネットのSNSを通じて公開してきました内容のものと未公開のないようのものと併せて『大日月地神示』前巻、後巻として、二冊に分けて書といたすようにとのご指導をいただきました。
また、2016年の神示編集にあたりましては、改めて指導霊団にお伺いいたしながら、全ての神示内容に対する編集作業を共にいたして頂き、誤字や漢字や句読点、改行箇所等の変更、またはより相応しい言葉、表現なども一つ一つ伺い確認いたしながら修正させて頂きましたが、第二刷発行の際も今回も、いくつかの疑問点を改めて指導霊団にお伺いいたし、確認のうえ修正させて頂きました。お蔭様で、だいぶ読みやすくなっているかと思います。
この神示は、読まれてゆく中で、色々な矛盾を感じられる箇所もあるかと思いますが、神示は人それぞれ八通り(人それぞれ四方八方)に読める書であり、必ず何らかの意図する教えや仕組み・目的が隠されてもおります。また、読まれる次期によって受け取り方が一変するといった、不思議な書でもございます。まずは、順に最初から最後まで読んで頂き、次に読みたい所だけ読む、または後巻を先に読み前巻を後で読む、または無作為に開いた所を読むといった読まれ方もなさって頂ければ幸いです。おそらくその都度ご自身に必要な内容が書かれてある箇所を読まされることと察します。
なお神示には、霊人様方にもお聞きいただけるよう声を出して読みなさいという教えがございます。言霊・音霊に変えて何度でも読まれてみて下さい。何度も何度も同じ内容、同じ言葉が顕れてもきますが、知らず知らずのうちに社会より植え付けられてきたマインドコントロールや洗脳を解く目的も隠されております。
また、神示の至る所に、霊団と繋がるための祝詞同様の浄霊浄化・導霊・除霊・病治し効果を持っている文面が散りばめられてもおり、読まれる人ばかりでなく、聞く側にも、己の周りに関わっておられます霊存在にとりましても必要な教えとなったり、神氣が与えられどんどん変化いたしても参ります。おそらく素直に読まれた方だけが体験するであろう不思議な霊験もあるかと思われます。
自動書記による神示というものは、世間の皆様にとりましてはやはり疑念の対象であったり、受け入れがたい驚くべき内容であったり、また滑稽に感じたり、良く意味が分からなかったり、当然、人それぞれでございましょう。
しかし、神とは? 人とは? 生とは? 死とは? 己は何者であり何のために在るのか? という、生きる上でとても大切なことを理解している人は、世間では非常に少ないのが現状であるかと思います。それは私たちが大切なことを教育されずに生きてきたからです。「あなたはなぜ存在しているのか?」その必要な教えが、「大日月地神示」の随所に散りばめられております。ぜひこの神示を熟読され、多くのことを悟って頂けましたら幸いに存じます。
神人は果たして本物なのか? 偽物なのか? 大日月地神示はフィクションなのか? ノンフィクションなのか? 本来どのような目的を持つ書であるのか? すべてはお読み頂きました皆様方お一人お一人の、良識あるご判断に委ねたいと思います。
但し、一つだけ心の片隅に置いて頂きたい事がございます。
この神示は、鏡の如く御魂相応に心をすべて映し表に顕れ始めて参ります。
神示を通じご縁を頂きました皆々様方のご多幸を心よりお祈り申し上げます。
神人 拝
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