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執筆者の写真洋子

大日月地神示【前巻】「ま」の巻

更新日:2021年9月9日

 あえいおう。うるうるう。おろおろお。

 もういくつ寝るとお正月。それぞれの御靈は改心なされ、色々な世界へとそれぞれ移り変わり、うれしうれしとなり変わられる時となった。三千世界すべての移り変わり、うれしうれしの世の姿。皆々うれしたのし、すべてに喜び唄う地となりて、痛みも苦しみも迷いもない、まっさらな透けて見えるまことの民の世となりゆくぞ。それぞれ御靈相応の世界へ移るとは、例えではなくそれぞれの心のままであるのぞ。日々の思いの因果であるぞ。何をするにも、まず思いが始めであろうがな。すべての思いが映り、言となり、動きをなす。思い通りとなるのじゃ。何を思うて生きるか、この先の己を決めるのぞ。誰彼のせいでなく、己の思いは、何千年もの因果の顕れとなって出ておる。何もかもが己のままであるのじゃから、何一つ不足申すでないぞ。顔も身体も皆々その方相応に変わるから、末代動かぬまことで現(うつ)すから、今のうちにいくらでも改心なさり、皆のために生きて下されよ。

 金も要らぬぞ。要るのは今暫くの狂言じゃ。捨ててみなされ。皆のために使いなされ。生きることに感謝いたし、うれしうれしと仲良う皆と暮らされよ。金より大事なものあるぞ。命失(うしの)うても縋りついておるもの多いのう。己の未来が決まるのじゃから、いつまでも金にしがみついて下さるなよ。金は要らぬ世となるのじゃから、心暮らせんこととなるぞ。自ずと悪となるぞ。

 靈も神もおらぬと申す人民、まだまだたくさんおるが、今に淋しくなりて生きておれんようになってくるから、今のうちに縋りなされ。縋るとは、生きていることに感謝いたされと申すことぞ。皆々になされ。己の神は、足元におるぞ。いつでもそなたを見ておるぞ。上ばかり見ておっては、真わからんぞ。そなた、この方ちぎりて作っておることまだ分からんか。いつでも話し掛けて下されよ。そなた話し掛ければ、そなたの守護靈殿に申して、いつでも改心させてやるぞ。改心すれば、その日その時から、うれしうれしあら何とした事かと、愉しくなりて参るぞ。この方、無理に変えようとしておるのではないのじゃぞ。そなたが変わるのを、まだかまだかと待っておるのみじゃ。可哀想じゃから人民に話し掛け始めておるのじゃ。

 今までも神人遣うて何百年も言って参りたが、まだまだ言葉足らんようじゃから、人民欲張りじゃから、事細かに分かりやすく申すのぞ。神人、神の言(こと)、通訳いたす役割を申すぞ。靈人殿、幾人もの方々通じて現れておるから、我出すと言歪むぞ。歪むと苦となって顕れるから、うれしうれしたのしたのしと感謝いたし下されよ。何も考えず容れ物となりて下されよ。それで事は巧くゆくようになりておるのじゃから、何も心配せんで良いぞ。

 これから生きてゆく上で大切なことじゃ。皆と仲良うお暮し下され。何事も愉しんでやりなされ。あっぱれ皆々喜びであるのじゃから、人民の善悪で決めて下さるなよ。みな分かっておらん事の方が多いのであるから、素直にいたすが一等ぞ。いつでも良いから、気が済みたらお変わり下されよ。神、待ち遠しいのう。

 神には、天罰は無いのじゃぞ。地震も雨風も皆々必要であるがゆえにあるのじゃ。天罰無いのが、真の神の道。神憑りと見えぬ神憑り、まこと ぞ。神懸りとは、そなたに分からぬようにそなたを導いておることを申しておるぞ。早合点なされるなよ。奇跡ないのが真の奇跡。あらゆる方々、奇跡見せておるのは、皆々お役目であるからぞ。次元変わればどうなるか、新たな次元見せて下さっておるのじゃ。それぞれのお役目、皆々大切じゃが執着するでないぞ。執着とは、一つの見方だけで、事をくくるでないぞということじゃ。それぞれの道あるなれど、それぞれ皆々違うのじゃから、言葉も世界も違うから、一つにくくるは苦しみを生むだけであるから、それぞれ違いを愉しみなさる心、まこと の神心、大和の心であるから、早う元へ戻って来て下され。

 元と申すは、元の元の元の大神へと向かって歩いて下されと言う意味じゃぞ。神々様も皆々大神の子であるぞ。大神いよいよお顕れとなりて、まあ何としたことか、神々様さえも知らぬ光出るから、どこまでもどこまでも限りなく弥栄弥栄(やさかいやさか)でありますこと、どれほど嬉しいかお分かりになりますぞ。始まりは限りないのじゃ。終わりも限りないのじゃ。喜びは、与えよ。限りなくそなたに与えるぞ。与えられたら、ますます皆に与えて下され。ますます喜びとなりますぞ。限りなくどこまでもどこまでも、うれしうれしと充ち満ちて、神々と共にお暮しなされ。神々殿も大神と共に、どこまでも限りないのじゃから、宇宙は限りない生命体(いのち)でありますぞ。生命(いのち)とは、限りないのが真のお姿じゃ。一二三四五六七八九十(ひとふたみよいつむゆななやここのたり)から、いよいよ、〇一二三四五六七八九十(むうひとふたみよいつむゆななやここのたり)となったぞ。艮金神うれしうれしと歌唄う。これみな愛に生きるものへの宝授けじゃ。これが、艮(うしとら)の真の仕組みであるぞ。

 食べ物、気つけよ。騙したカミ様からは騙した因果がお顕れとなりますぞ。それぞれ食う物、出所、ようく見極めなされ。祀るとは、喜びに溶け込ることぞ。あい(愛、合、相)するとは、他を喜ばせ頂くことぞ。己にすることぞ。祀り合わせ結構結構。霊はそのものの想念を頂いておるのじゃから、喜び頂けよ。喜び己となされよ。神世へ生きる一(はじめ)の行(ぎょう)であるぞ。

2007年二月三日 艮金神




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