あなさやけあなすがすがし。
これ皆、うたうたう御神々様のお働きなさっておられます、その時々のお姿でもありますのじゃ。御魂相応に受け取れる言靈(ことだま)でありますのじゃから、皆々改心なさればなさるほど、うれしうれしと受け取り方変わりますのじゃぞ。皆この方の顕れであるから、どれ摑んでもこの方にまつろうこと出来るなれど、まつろいやすいところありますのじゃ。何事もうれしうれしと変わること出来るなれど、人民改心できておらんと苦しい思いせねばならんから、神なるべく楽にしてやりたいから、くどう申しておるのじゃぞ。苦しむには苦しむだけの原因ありますぞ。おのれの不幸と思うには思う理(ことわり)ありますのじゃ。この世みなそのまま映るのじゃから、うれしうれしと映り下されよ。
皆々この方の御魂授けてあるのじゃから、要らんもの何一つ無いのじゃから、皆々ありがたく仲良ういたされよ。仲良う出来んのは己磨けておらん証拠じゃ。因縁(めぐり)まだまだあるから苦しむのじゃ。この世みな同じこと。泥には泥に暮らす喜びあるのじゃ。空には空に暮らす道理あるのじゃ。人には人として生まれる訳がありますのじゃぞ。そなたらは、みな大事なお役目担い、この世へ生まれておるのじゃ。何ゆえ生まれて来たか分からんか。そなたらが生まれたくて生まれて来たのじゃ。生まれたくないもの生まれん仕組み。皆々そなたらが選んでおるのじゃぞ。取り違いいたしておるお方おられるぞ。生まれて来たのは、苦しみではないよじゃぞ。その時代は、とうに過ぎておるのじゃから、皆うれしうれしのお役に目覚めて下されよ。
天地ひっくり返るとは、人間界もみな上下ひっくり返るのじゃぞ。うれしうれしと生きる人民みな光り輝くのじゃから、苦しむ人民みなはいずり廻らなならんから、学と金に囚われて下さるなよ。学と金の世は、もう済みておるのじゃから、皆のために生きよ。皆のために己無くせよと申しておること、お分かり下されよ。地の大神様にひれ伏して日々お謝りなされよ。生き物みなみな感謝いたし、うれしうれしの生き方なりて下されよ。そのこと分かれば、次の世に既に生きておられますのじゃぞ。何事も心配なくなるのじゃ。仲良う手引き合って、皆々昔からのあっぱれうれしうれしのご縁のある者同士引き寄せて、次の世の礎作らせておるのじゃから、真吉事(まことよごと)摑まれてこの方にまつろうて下されよ。その日その日から神々様息吹て、あれ何としたことかとびっくりうれしうれしでありますのじゃから、手合わせて、善と悪と、みぎりとひだりと、皆々一つとなされ、うれしうれしとなりて下されよ。分かりたか。
悪、アク、開(あ)く、明(あ)く、あくとは、己の身魂掃除いたして下さる大事なお役目でありますのじゃ。悪に感謝いたされよ。悪に手合わされよ。悪、お役目貴べよ。悪、喜ぶぞ。悪、喜んで改心いたし、新しお役目と変わられますのじゃぞ。悪、憎むそなたは、まだまだ改心足らんぞ。うれしうれしとよう笑うて下されよ。悪、現れてもの申すから、感謝いたされよ。どこまでも感謝いたされよ。悪もそのうち唄うぞ。笑うぞ。共にうれしうれしと唄い、踊り、祭じゃ、祭じゃ。楽しくて嬉しい世の祭りの仕方。人民改心とは、そのことでありますのじゃぞ。
2006年7月12日 天の日月の神
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