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執筆者の写真洋子

大日月地神示【前巻】「こ」の巻

更新日:2021年5月9日

 理屈申さず参れよ。理屈申すと苦しくなるぞ。これ、いしの力にありますぞ。いしとは、石、意志、善し(いし)と申しますぞ。これから申す仕組み、木花咲哉姫(このはなさくやひめ)様うちひしぎにならるうことにあられますぞ。これらはみな、合いすることの意となる仕組みでありますのぞ。れすこみねにいる無の大神、胸に大御親(おおみおや)聞けこまし、そのうゐのおくやまにあります地の大御親、この父子にあらるること申し上げます。今この耳振立てて聞こし召せとかしこみかしこみ申す。これから申すこと、このよのあらるる姿の大御親に映る、一(はじめ)のことでありますゆえ、皆々辛抱大切でありますぞ。これまでのこと、今までのことと申さす、一番の仕組みでありますぞ。

 映し世とは、このことでありますのぞ。今ある姿はみな靈界の事象であり、現実界における荒れはみな靈界の荒れの映しであります。靈が先と申さしたのは、このことでありますのぞ。靈人みな改心いたし、すっくり心変えて下されねば、人民心晴れぬのでありますのぞ。皆々映し出されておるのじゃから、人民に申し訳あるまいがな。この御魂そのこと分かるゆえ申さしておるのじゃぞ。靈人も人民となり移りかわりながら学ばせておったが、これからは靈人と人民と一つと成りなりて、地の大御神の御心に添い奉りし、地(くに)の日月の民となり、真の神の容れ物となり、仕事さして世の建て替えいたさすのであるから、みな覚悟いたされよ。怖くて嬉しいお仕組みであるゆえ、みな楽しみいたされ、この方の元に参りて下されよ。良いか、この方、三千年の時を待ちておりたのじゃ。皆々会える日を楽しみにいたしておりたのでもあるのぞ。これより、古(いにしえ)の声の元を映す時きたのであるから、艮金神殿の御計らいにいたり、うゐのおくやまにあがりておりた神々様にお目にかかれますのじゃぞ。根の国、意の現(うつ)しの国であるゆえ、この度のお取り計らいとなっておりますのじゃ。良いか、これみな神国神世のことであるゆえ、健仁わからぬが、それでみな物事つじつま合っておるから、このまま続けて下されよ。

 根の国は、この世の現(うつ)しであり、神界(かみくに)の入り口にある世(くに)でもあるなれど、このこと、うゐねとおることにあらるるゆえに申す。これまで生かしておりた御魂は皆この方の遣いであるが、これから遣う大事な隠し御魂でもありたのじゃ。ゆえに、分かる御魂も無いなれど、ここに申さすから、分かる人民これ見て心得て下されよ。これにあらるるは、ウの大神にあられますぞ。この方親なれど、この方でもありますのじゃ。この方の子でもありますのじゃ。良いか、これみな神の世の初めのことであるのじゃぞ。このこと申すは、人民に申しておるのではなく、靈人殿に申しておりますのじゃ。理屈申す霊人殿あまりに多いがゆえ、事分けて申さすのじゃから、人民には何のことか分からぬのも無理ないなれど、暫くは辛抱なされよ。靈人には、神界のこと分かりやすう説かねば納得されんようじゃから、この方、疑う霊人殿多いゆえ申さすのじゃ。良いか、よく聞きなされよ。

 そなた達を生んだのは、この方の神子らである。その方らが生きておるのは、この方の御胸(みむね)である。その方らが死んで生まれるのは、人民がある世界である。その方らがおる世界は皆それぞれの御魂に応じた各次元(せかい)であり、移り変わりの多い世界である。ゆえに、それぞれがそれぞれの世界に生きておるのじゃ。これから申すのは、皆々真のことであるなれど、分かる靈人殿には分かるのであるのぞ。良いか。これは死ぬということにおいて痛みを知らぬ靈人の世界に痛みをもたらすのが、この方の仕組みてある喜びであるのじゃぞ。何ゆえ、死をもたらし人民に落とすのかと申すなれど、人民ほど貴い学びが出来る者は無いのじゃぞ。この方とて、人民として何度も生まれながら皆々に申してきておるのなれど、分かる人民おらぬから、見て見ぬ振りしておったのでもあるのじゃ。これ方便であるのじゃぞ。理屈申すなよ。

 今までのこと、これからのこと、皆あまりに混み合っておるから、一つ一つ整理せなならんから、今までからまず掃除させるのじゃ。そのことまず分かりて下されよ。これからのことは、掃除出来てからでなければ申してもわからんことであるから、まず今までのことを掃除いたすのじゃ。良いか、靈人殿に申しておりますのじゃぞ。人民みな、靈人殿改心いたさねば、うれしうれしの世に移ること出来ぬから申すのじゃ。皆の小孫でありますのじゃ。時移した己でもありますのじゃ。ゆえに今までしてきましたことが、みな顕れておりますのじゃ。ご守護いたしておりますのは、己の時移った先のお姿でありますのじゃぞ。

 この御靈魂(おんたま)とて王でありたのじゃが、改心せねばならんから、一旦人民の落ちたところまで落として改心さして、皆のために生きること誠分からして、改めてこの方の一厘の仕組みに遣う隠し御魂であったが、この御魂に本日申したから、皆のため永久(とことわ)に生きること何度も言うたから、この方うれしうれしでありますのじゃぞ。これから皆のために生きなされと申したのではないのじゃ。皆のために生きてゆきたいと神に願いを奉ったのじゃぞ。真の改心とは、快心となることでありますのじゃ。うれしうれしとは、立て替えとは、このことぞ。

 人民の身魂みな掃除さして、地の神とさして、天(あめ)の神は隠居いたすお仕組みじゃぞ。ゆえに、神人(かみ)とならねば獣として生きねばならんと申すのじゃ。獣とて可愛いこの方の子であるから、快心出来ぬ御魂は獣にも出来ぬから草木に格下げいたすなれど、草木とて大事なこの方の御魂入っておるから、草木にも出来ぬとなれば石にするより他ないから、そのつもりでおりて下されよ。このこと、例えで無いのじゃぞ。神意(まこと)分かり下されよ。皆々改心快心結構結構。今までの因縁(めぐり)みなすっくりと、綺麗さっぱり掃除洗濯なされよ。皆々靈人殿も共にいたさなならんのじゃぞ。この御魂とて日々改心さして、もういたしませぬと言いながら少しずつ変わってきたのじゃから、皆々もっともっと善きよう変われますのじゃぞ。変われぬ者みな石にいたさすから、変われんと申す者そのつもりでおりて下されよ。

 皆のために生きるとは、人民だけのためにいきることとは違いますのじゃぞ。地の大神様の御心に溶け入ることでありますのじゃぞ。感謝感謝でうれしうれしとなることでありますのじゃ。良いか。分かりたか。皆この方の御魂分けておるのじゃから、誰彼ともみな改心いたせば、この方、神付けて分かるよう申さすから、神、人、共に成りなりて、神人となりて下されよ。これ例えで無いぞ。今、このこと分かる人民一厘も無いなれど、一厘になりたら、世は変わるのじゃぞ。

 ここに縁ある人民、そなたはこの方が引き寄せておるのじゃぞ。よく読んで改心結構であるのじゃぞ。御魂相応に申さすよういたしておるから、早う氣変えて、新しい衣に着替えて下されよ。うれしうれしじゃぞ。地震の神様、総活動でありますぞ。大難を小難にと日々お願い申せよ。大地震はいつ来るのじゃと申しておる人民、悪の輩の容れ物となっておるのじゃぞ。大地震、喜びで無いのじゃぞ。起きぬように皆で改心いたし、日々地震の神様にお願い申すのが真の神人であるのじゃぞ。地の大神様もお変わりなさるが、人民の心によっていかようにでもお変わりなさるるのじゃけれども、神々様方にお願い申して、日々ご苦労申さしておるのじゃから、人民、地の御神様にお謝りいたし、まつろうて下されよ。足元拝んで下されよ。足から氣いただいておるのじゃ。足元、神じゃ。神の御身体じゃ。分かりたか。そなたらを愛しい愛しいと、大切にお思いなされておられる大神様でありますのじゃぞ。何ゆえ大神様かと申す人民、靈人殿おられるが、そなた達の近目(ちかめ)では、大神の御心、仕組みは分からぬのでありますのじゃぞ。分からぬから分かるようまつろうて下されよ。

 人民、神無き者にいたしておるから、靈憑(れいがか)りうようよであるのじゃ。神分からぬ靈人殿、この世乱しておられるのじゃぞ。仏魔となりておりますのじゃぞ。仏の世は終わりておるのじゃ。何もかも許しっぱなしの世は終わりたのじゃから、改心せねば神世には生きてゆかれん道理、分かりて下されよ。何もかもきちりきちりと映しの世となるのであるのぞ。ありのままに生きるとは、うれしうれしとなる神の世でありますのじゃ。綺麗サッパリとなって、真曇り一つ無い御心のままに弥栄える神人の世となるのじゃ。皆々改心結構結構であるぞ。



2006年6月20日 天の日月の神 申す。氣の世界(くに)在られる顕(うつ)しの世初まり。



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