学問や知識で考えるから行き詰まるのじゃ。
それは我であるぞ。
生まれ赤児と申すのは、学も我も出さん水晶のこころ。
何もフィルターが入っていない目で物を見るこころ。
それを感じようとするこころ。
そのままを受け入れるこころじゃ。
学があると分析しようとする。
専門家と称するものの意見を取り入れようとする。
それが我じゃ。
今の人間は、自分の感じ方や受け止め方を、信じられんようになっておる。
要らんものは捨て、ねり直して、澄んだ水晶の心、結構ぞ。
親の心が分かったら、手伝いせねばならん。
言われん先にするものじゃ。
いつまでも子どもではならんぞ。
神は喜びの氣、愛の氣、調和の氣、神へと進む氣じゃ。
そなたたちは神の子ぞ。
罪の子でないぞ。
喜びの子ぞ。
神の子なればこそ考え方を変えねばならん。
真なき愛の道を行く者、
執着を愛と勘違いしておる者、
我よしで人や自分の成長を妨げる者、
人の悲しみを内心喜ぶ者、
それが罪の子と申すのであるぞ。
天国の意志は、人間の喜びの中に入り、
幽界の意志は、悲しみの中に入る。
愛の中に悪を入れてはならんぞ。
水晶になれよ。
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