表ばかり見ているから分からん。
水晶の心のように純粋なれば、三千里先のことも明らかじゃ。
人間というものは、奇跡を見ても、病気になっても、
一時のものと申し、なかなか改心出来んものじゃ。
死後の生活がはっきりと分かっても、
未だ改心出来ん。
それは外からのものであるからぞ。
外から聞いているだけであるから、耳から耳へと素通り。
読んでおるだけであるから、頭にも残らん。
忙しいと申し、先延ばしにしておるから、エゴに支配されておる。
自分はできておると申すその気持ちがエゴぞ。
誠の改心は、中の中の神のキをいただいて、
根本からの改心が出来ねばならんのぞ。
肝の落としたい言葉があれば、目を閉じて何度も心で繰り返してみよ。
素直な心で繰り返してみよ。
自分に言い聞かせてみよ。
それが神示を血にするということぞ。
死後の生活を知らせるのはよいなれど、
それのみによって改心せよと迫るのは、悪のやり方。
恐れを抱かせ、改心を迫るのは取引ぞ。おどしぞ。悪ぞ。
神に取引もおどしも通用せん。
奇跡を見せ、病気を治してやるのもよいなれど、
それのみによって改心を迫ってはならん。
それのみで道を説いてはならんぞ。
交換条件は悪じゃ。
そんなこと位で誠の改心が出来るならば、人間は遠の昔に改心して御座るぞ。
今までの様な宗教は亡びると申してあろうが。
亡びる宗教にしてくださるなよ。
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