めぐりと申すのは、自分のしたことが自分に廻って来ることと申した。
カルマともいう。
カルマは自分で作ったものじゃ。
他を恨んではならん。
ひとつの人生で起こるだけではないことは知っておろう。
前世から引き続いたカルマもある。
人を変えて似たような出来事が起こるのは、
カルマが解消されていないからじゃ。
神の罰ではない。
宇宙の法則じゃ。
今の人生でもカルマを作っているのだぞ。
人を恨む前に、
己を責める前に、
からくりを考えなされよ。
そなたの中にあるものが原因ぞ。
怒り、恨みを溜めておると、ますます溜まるような出来事が起こる。
人を粗末に扱っておると、粗末に扱われることが起こるぞ。
相手に恨みをぶつけてもならん。
溜めてもならん。
それは、低次の心ぞ。
怒りは純粋なエネルギー。
そのエネルギーをどのように使うかで波動は変わる。
身魂を磨いた人間に怒りをぶつけても刺激されん。
我慢しておるのではない。
相手に慈悲を感じているのじゃ。
ゴモクとして怒りの種が残っておれば、
怒りを怒りで返す。
心の中にあるめぐりの元を探せよ。
それはそなたの影ぞ。
影をなくそうとするなよ。
影に光を当てるのぞ。
影の奥にも影がある。
それが身魂を曇らせておる。
少しでも腹が立てば、
目を閉じて、それに光を当てよ。
意識を中心に持ち、それを眺めるのじゃ。
怒りはあれども、
怒りは自分そのものではないと言い聞かせるのじゃ。
めぐりは悪いことだけではない。
自分も人も大事にしておれば、
喜び合うことが起こるぞ。
喜びのめぐりとなるぞ。
嬉し嬉しじゃ。
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