太陽の民の肉体に一時は鎮まり、この世の仕事を仕組みて、
天地でんぐり返して光りの世と致すぞ。
花咲く御代が近づいた。
用意の時、しばし与える。
とんでもないことになるぞ。
真の王の輝く光の世となるぞ。
自分を軽しめることは、神を軽く見ること。
そなたたち誰もが頭領であるぞ。
釈迦だぞ、イエスだぞ。
その上に、神が座すのじゃ。
その上に又、神が出てくる。
その上にも神があるのだぞ。
上も下も限りない。
身魂の磨けた人々の肉体へ鎮まれば、
何処へ行っても、わたくしの国、わたくしの肉体ぞ。
今では鎮まれる肉体が少ない。
我で作った今の世の仕組みに侵されておる。
それをさっぱりときれいにしておくれ。
心配せずに、どんどんやれよと申したなれど、
今はどうしたことじゃ。
日が経つと忘れたか。
世が変わると捨てたか。
光の世にするという御魂の御用を無きことにして、
闇の世で生きるのか。
心を新たにせよ。
初めの行をして、毎日心を新たにせよ。
わたくしが鎮まれば、そなたたちが動くところに神の力が加わる。
神の力とともに動くのだぞ。
それが神人じゃ。
みなで神人になる集いは結構であるが、今の集いは神無き集い。
神無き集いを作ってはならん。
人が上になっておるではないか。
言葉だけ「神」と申しておるではないか。
神を上に、真中にして集まれよ。
世の中の騒動を持つ心は、悪であるぞ。
神示通りにならんではないかと文句を申す心、
悪であると申したことを忘れるなよ。
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