この度は昔からなかったことを致すのじゃ。
人間には分からんことであるから、素直に致すが一番じゃ。
惟神(かんながら)の道とか、神道とか、日本の道とか、
今の人間は申しているが、それが一番の間違いぞ。
惟神(かんながら)とは神と人が共に融け合った姿。
今のそなたたちは神をなくしておる。
口先で申しておるばかりじゃ。
それでは惟神も神道もないぞ。
心大きく、深く、広く持ちてくだされよ。
人間にはわけが分からんであろうから、
わたくしは、いよいよとなるまで伝え続けておくぞ。
この道は、ただの信仰心を持てと申しておるのではない。
根本から違うと申しておる。
三千世界の大道。
大宇宙、多次元の大道ぞ。
やまとの民とユツタの十二の支族の源を伝えよう。
太古の地球は、過酷な地であった。
お土は、純粋意識そのものであった。
何もないが、すべてがある意識そのもの、
何ものかも分からず、言葉も持たない意識そのものじゃ。
生まれ赤児じゃ。
生まれ赤児は、何もかもが刺激的であり、好奇心の塊であろう。
何も疑わず、ただ、知りたい、体験したいという思いだけじゃ。
その赤児のようなお土は、地球で体験を繰り返すうちに学んで行った。
刺激や痛みで意識は成長していった。
痛みを避けようとする意識はない。
その刺激を受けるにつれて、だんだん、形も変わっていった。
土であったものは、微生物に触れることで微生物になり、
その意識を吸収していった。
どんどんいろいろなものに触れるうちに、
学び、吸収し、進化していった。
エーテル体だけの時期もあり、
徐々に肉体という物質になっていった。
エロヒムの御柱の一柱が
太陽からの生命力で、その体に御魂たちを受肉させたのじゃ。
人間になるまで、何千万年もの時間がかかった。
神と呼ばれる高次の存在の目的は、
この星で肉体を持ち、
天の国を物質的に地球に創造し、
進化と繁栄を目指すことであった。
そのために神の御魂たちは、肉体という入れものが必要であったのじゃ。
されど、過酷な地球では、強い御魂しか受肉できなかった。
強い御魂は、古い御魂じゃ。
何事にもぶれず、愛と調和を持ち、
進化という目的を達成できる御魂たちじゃ。
その強い御魂で受肉できた存在が、やまとの民であった。
太陽の氣を受け継いだエロヒムの神の子たち、
太陽直系の子孫、
それが因縁ある御魂、神の御魂と呼ばれるゆえんじゃ。
分かったか。
当時、地球に受肉できなかった御魂たちは、他の太陽系の惑星へと移り住んだ。
長い年月の後、地球が穏やかな環境の星となった頃、
ユツタの御魂を持つ者たちが、地球に受肉してきた。
彼らは、高い意識と波動を持つ存在たちで、
やまとの民とともに仲良く暮らしておった。
ユツタの十二支族と呼ばれる者たちは、その末裔じゃ。
彼らもやまとの民と同様に、
御魂を主とし、肉体は従として生きる民たちであった。
同じ頃、太陽の生命力で受肉できず、
他の惑星に移り住んだ御魂たちが、地球にやってきた。
彼らもまた進化を目指す神の子たちであるが、
やまとの民と違って、太陽直系の子孫ではない。
彼らは、高度な霊的科学を使いこなせる者たちであったが、
肉体を主とし、御魂は従として生きる者たちであった。
そのため、愛や調和という意識の発達は遅れており、しばしば問題が起きた。
地球の中に多くの人間種族があるのはそのためじゃ。
わたくしが「外国」や「幽国」と呼ぶ者たちは、
国のことではなく、太陽直系ではない子孫たち、
惑星育ちの子孫たちのことを申しておるのぞ。
優劣ではない。
上下でも、善悪でもない。
種の違いぞ。
みな進化を目指しておるわたくしの子どもたちじゃ。
間違うでないぞ。
その後、ユツタの民もやまとの民も、
惑星育ちの民とともに歴史の中で混じり合った。
夜の時代とともに、人間たちは眠りにつき始めた。
夜の世となり、岩戸も閉じられ、
神とのつながりは、どんどん途絶えていった。
人間たちは、自分たちが神の子であることを忘れ、
入れものである肉体が、自分であると勘違いして生きていくようになった。
肉体とともに存在するのがエゴじゃ。
エゴがますます強まると、御魂は曇り出す。
そのうち、眠りについた人々は、
エゴから勝手な神を解釈をし、偶像を拝む者が出てきたのじゃ。
迫害し、迫害され、分裂し、歴史から消えてしまったものもおる。
それが今の人間の間でも起こっておるのじゃ。
夜は明けたぞ。
目覚める時が来たぞ。
何を大事にして生きておるのか思い出されよ。
地球に、元の神の国を作るのじゃと申しておること、分かったであろう。
勘違いしてはならんぞ。
命がけで御用をつとめていると申し、
我で邪魔ばかり致しておる者もおるぞ。
金や学や智では、大峠を越せんと申した。
神は「せよ」と申すこともあれば、「するな」と申すこともある。
神の言葉の表も裏も理解せよ。
裏の裏とは、そのことぞ。
この度の岩戸開きは、人々を使って人々を助けること。
人間は神の「入れもの」となって働かねばならん。
入れものであることに、氣づくことぞ。
それが御用。
いつでも神が融け入れるように、
いつも神とともにいられるようにせよ。
この立て替えの道を先導するのは、
太陽直系のやまとの御魂を持つ人間でないとできんという理屈、
分かるであろうがな。
今、この神示を読んでおるそなたよ、
そなたに申しておるのぞ。
そなたも御縁があって読んでおるのぞ。
自分がやまとの魂を持っているかどうか分からんなら、
何度も読んでみよ。
他人事じゃと思うな。
この神示を読んでいることが、すでにご縁なのじゃ。
思い出すぞ。
神の仕組み、いよいよとなったぞ。
Comments