天国が映って地が出来ておる。
靈の国は更に立派、微細ぞ。
天界のものは光り輝き、
幽界のものは暗いという違いあるだけじゃ。
その時の状態によって変化するが、
総ては神が与えた。
限界同様、与えられているのじゃ。
天界には時間・空間もあるが、無いのであるぞ。
そなたたちの波動が、同じ状態にあれば、
同じところに住む。
建物も街並みも変わらん。
自分の波動が変われば、
別のところに住むのであるぞ。
神はそなたの中にあるが、
外にもあると申してあろうがな。
外的世界は、そなたたちの波動に応じた世界となっておる。
テレビなどを通して見る間接世界は、
自分の波動とは違う世界じゃ。
そなたの波動が変われば、
自分の鏡に映る家族や知人は、そなたの波動の人間ぞ。
同じように相手も自身の波動に合う相手を見ておる。
そなたは三千世界に在る。
人を見たら神だと思え。
人を拝めよ。
今日のそなたは、昨日のそなたではない。
これは、そなたの波動を上げるための教えじゃ。
神も邪靈も見ようと思えば、
念の中に出て来て、見ること、語ること出来るぞ。
見まいとすれば見えん。
見ることも語ることもできんと申して、
自分の可能性を閉じてしまうと、見えんし語れん。
見えておるのが邪靈なのか、
波動の低いエゴの自分かは見極めよと申した。
自分を磨けよ。
自分を信じよ。
自分で見て、自分で語るのじゃ。
外界の見方も改めよ。
外界に見えておるのは、自分が映った人間じゃ。
自分が映った街並みじゃという意識を持って見よ。
時、所、波動の位、総てが想念の中じゃ。
想念のままに現われて来るので在るぞ。
分かるように申すならば、時間も空間も映像であって、
波動状態の元、本質は限りない。
無限で在る。
自由で在る。
ゆえに靈界は無限であり、絶対であり、自由自在で在るのぞ。
現界では、時間の順に得たものでも、
心の中では時間に関係ない。
距離にも関係ない。
一所に並べられるであろうがな。
ある日の記憶を思い出すと、
あっという間にそこへ意識が行く。
意識は、時間を秒読みでさかのぼりはせんであろうが。
記憶をたどるのは、頭の中だけのことと思うのは間違いぞ。
身魂が磨ければ、
意識は時空を超えるのじゃ。
心の世界で、時間、空間のない道理。
これでよく分かるであろうがな。
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