身魂磨きをせよと申すのは、
これまでに溜めた感情や慾のゴモクがついておるからぞ。
身魂磨きの「身」とは食事を正すことだけではない。
そなたたちが生まれてこのかた出さなかった感情、
押し殺した感情が、身体に溜まっておるのじゃ。
今の人間は、幼いころから「せよ」や「するな」で縛られておる。
芽を摘まれておる。
「泣くな」と言われて育った子は、悲しみの気が身体に溜まる。
「怒るな」と言われて育った子は、怒りを溜める。
欲しいものを手に入れられなかった子は、その慾を出しきれぬまま、
常き渇き、何でもむさぼる鬼となる。
その溜まったゴモクは、解放されん限り、
肉体のいろいろな部分にゴモク溜まりを作り、
体内循環の障壁となる。
それが症状というものじゃ。
今、何も不便はないと思っていても、
固まった障壁は、不調和のエネルギーとなって、
じわじわと身体と心を蝕んでおるのぞ。
エネルギーは一定じゃ。
自分の中に隠し、静かになったと思い込んでおるのは、
自分だけじゃ。
エネルギーとして使わねば、自分を壊すことになる。
大人になるうちに、
身体が固くなるであろう。
肩や腰が痛むであろう。
呼吸が深くできんであろう。
眠っている間に歯ぎしりする者もおろう。
すべてゴモクじゃ。
エネルギーというものは変わらんから、
身体の内に溜めたものは、使われぬうちは残ったままとなる。
それを掃除せねばならん。
掃除の仕方を申すぞ。
へその下に意識を持っていけ。
どこにどんなゴモクがあるのか、その部分に聞くのじゃ。
すると、身体は気づいてほしい所を教えてくれるであろう。
肩が重くなったならば、
どんな荷を下ろしてほしいのかを聞け。
関節が固い者は、
我よしの考えや慾で固まっておる。
どのようなものが要らんかを聞いてみよ。
そして身体を動かして、
溜まったゴモクのエネルギーを発散するのじゃ。
怒りが腹にあると分かれば、
その感情を味わいながら布団でもたたくとよい。
拳を振り上げてもよいぞ。
恐れが胃のあたりにあると分かれば、
それを手で払いながら身震いさせてみてもよい。
悲しみが胸にあると分かれば、
泣きたくなってくるであろう。
泣くがよい。
心残りがないように、
そのゴモクのエネルギーを外に出すのじゃ。
気づくだけで、ゴモクが解消されるときもあるぞ。
エネルギーは使われるためにあるものじゃ。
使わんから溜まってゴモクとなる。
身体は正直じゃ。
聞くといろいろな形で応えてくれるであろう。
今までそのようなことをしたことのない者は、
身体の声を聞きにくいであろう。
何度も試みよ。
身体を大事にしろよ。
身体の声を無視してはならんぞ。
身体に詫びよ。
感謝せよ。
身体を伴侶とせよ。
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