人間が生まれてはじめて知る喜びは、食べものぞ。
次は、異性ぞ。
何も大きな驚きであろうがな。
これは、自分と食、男と女、
それぞれが和すことによって起こる喜びぞ。
融け合うことによって得る喜びぞ。
喜びは神。
和さねば、苦となる。
悲しみとなるぞ。
されど、これは外の喜び、肉体の喜びぞ。
これは、成長すれば自然に起こる喜び。
次の成長は、意識じゃ。
意識しなければ、感じることができん喜びがある。
肉体の喜びは、過ぎれば執着となる。
進化とは、意識が目覚めていくことじゃ。
目覚めれば、その物質や人への執着という慾から離れていく。
離れれば、目覚めが始まる。
まず、自分の中にある異性への慾、食への慾のエネルギーが、
どのように身体に作用しておるか理解しようとしてみよ。
理解のために意識をして距離を取ることぞ。
観察するように距離を取らねば、取り込まれるぞ。
距離と理解がカギじゃ。
理解が進めば、変容が起こる。
潜在的機能が目覚めるぞ。
次元を超えたエネルギーの流れが始まるぞ。
次元を超えた喜びが食べものになる。
真の喜びは、靈の食べものを食うことぞ。
その大きな喜びを与えてあるのに何故に手を出さんのじゃ。
その喜び、驚きを何故に求めんのじゃ。
夜の時代の多くの人間たちは、それに氣づかなかった。
ゆえに、子どもたちに教えることもなかった。
眠っておる人間たちは、それを当然のこととして、
小さな世界で肉体を生きながらえることを人生の目的とした。
夜の時代といえども、
そのような人生が本物ではないと氣づく人間たちはおったぞ。
そんな人生はご免じゃと自分の納得する生き方を探す人間たちじゃ。
多くの人間は、食うために働き、一瞬の喜びで満足し、
あとは老いることの恐れとあきらめで生きていく。
それにあらがう者もおる。
それを商売にしておる者もおる。
すべて、肉体の喜びだけを追い求める末路じゃ。
そのような人生は嘘じゃと氣づけよ。
考えを改めよ。
眠っておる人間たちの言うことに耳を傾けるな。
喜びが、神であるぞ。
神示は、喜びへの道であるぞ。
神示を魂の食とせよ。
見るばかりでは身につかん。
よく噛みしめて味わって喜びとせよ。
味覚は、食うだけのために与えておるのではないぞ。
人間は、全てを味わえる感覚を持っておるのじゃ。
喜びを味わえ。
苦も味わえ。
人生を味わえよ。
鋭敏な味覚を研ぎ澄ませよ。
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