焦ってはならん。
そなたたち人間は、これぞと思うと、一足飛びに階段を昇ろうとする。
何事も一段ずつ、一歩ずつぞ。
それより他に進み方はない。
最初の一歩は、そなたの中におる獣を認め、教え、導かねばならん。
獣を人間と同じにしようと考えてはならん。
獣は獣として導かねばならん。
獣は、慾と執着と負の感情で動くのじゃ。
傷を負い、怒りと恐れを抱いた獣に、すぐに近寄ろうとはせんであろう。
戦おうとはせんであろう。
最初は、獣である慾や執着から離れることじゃ。
これは、すでに伝えたぞ。
時間をかけよ。
次の段階は、怒り、憎しみ、破壊慾、恐れの感情じゃ。
これらは、本来獣人間に備わったもの。
多くの人間は、これらを発散することが自然な生き方だと思い違いしておる。
それは、獣のあるがままであるぞ。
人間ではないぞ。
また、これらを我慢したり、隠したりする人間も多い。
怒りを、恨みを隠して、良き活動をしておると思う者、
強く見せようとする者、
善良な民であることを表現する者、
これは成長ではない。
止まったままぞ。
ますます大地に悪の氣を流しておるのぞ。
これらの感情は悪いものではない。
中行く心で見よと申したであろう。
痛みは、成長を促すものぞ。
痛みは、変容のカギぞ。
風雨に耐えた大樹を思い出せ。
まずは、認めよ。
自分の中に獣がおること、
恐れがあること、
攻撃心があること、
憎しみがあること、
悲しみがあること、
怒りがあることをはっきりと認めよ。
そして、正しき良き人間という隠れ蓑で生きておることを認めることぞ。
理解することぞ。
許すことぞ。
抱き参らせることぞ。
瞑想せよ。
時間をかけよ。
心から、それができるようになると癒しが起こり、変容が起こるぞ。
心深くにある怒り、憎しみ、破壊慾、恐れは、
寛容、勇気、愛、慈悲に変容するのじゃ。
するとそなたの中におる獣は鎮まる。
安心して鎮まる。
そのエネルギーは弱まっていく。
そして怒りは、寛容に変わる。
好奇心が起こり勇気が湧くぞ。
攻撃心は、慈悲に変わるぞ。
怒り、恐れの卒業じゃ。
浄化とは、そのことぞ。
世は七度の大変わり、いよいよの段階に入ったら、
我良しの人間には、何が何だか分からんようになり、
焦れば焦るほど、深みに落ち込むぞ。
獣が目を覚まし暴れるぞ。
心の窓を大きく開いて、小さい我の慾から離れると、遠くが見えて来るぞ。
見えたら、先ず自分の周囲に知らせよ。
知らせることによって、次の道が開けて来る。
死ぬ時には死ぬのが喜び。
遊ぶときは遊ぶが良いぞ。
冬になったら冬ごもり。
言葉と時と、その順序さえ心得ておれば、すべて自由ぞ。
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