ものごとを局部的に見るな。
分からんようになるぞ。
この神示もそうじゃ。
文字を書くのは心であるが、文字だけでは心は見えん。
手が見えるだけじゃ。
手が見えるのはまだよい。筆の先だけしか見えん。
筆が文字書いていると申しておるのが、今の人間の言い分じゃ。
筆が一番偉いと思って御座るのじゃ。
神が人間に伝えたいことは無限にあるぞ。
その中から、早く知らせねばならんことを選ぶ。
その中から、核となる教えを選ぶ。
それを伝えられそうな言葉にまで落とす。
言葉は不自由な道具じゃ。
言葉に落とすほどに小さくしてしまうと、最初の教えは変わってしまう。
言葉だけでは分からんようになる。
人間には分からんなれど、伝えねばならん。
それゆえ、文字の奥にあるものを、
心で受け取ってくだされと申しておるのじゃ。
同じ言葉が続いても、真意は違うのであるぞ。
同じことをくどく伝えておるが、その真意はいろいろであるぞ。
言葉には、それまでにいろいろな意味合いがついておる。
それは、そなたたちによっても違う。
心で受け止めるには、
人間心で作った言葉の意味づけを外さねばならんぞ。
そのような偏見や誤解は、身魂が磨けておらんから起こること。
身魂磨けよ。
真っ白な心で読んでくだされよ。
神を信じることに決めても、始めはよいが途中から分からなくなるものじゃ。
そこが大切ぞ。
分からなくなったら、神示を読めよ。
言靈の氣をいただいて蘇るぞ。
ほこりは常に溜まる。
神示でほこりを払えよ。
そのうち、神示は要らんようになる。
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