死んでも自分は生きておる。
大往生の理とは、長生きすることではない。
一生を通じて自分を磨き、進化の螺旋に関わることじゃ。
魂の入れものである身体を大切にした暮らしをすることじゃ。
神と和合し、人を拝み、氣づき、磨き、学び、行をする。
喜びと感謝で生きた人間じゃ。
何を成したかではなく、どのように成したかであるぞ。
このような一生を送ることを大往生という。
そのような人間の最期は、眠るように逝くであろう。
今の世の人間は、時間つぶしの暮らし方をしておる。
縦へも横へも広がらん。
やまとの民よ、氣づいておくれ。
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