よひとやむみな 地つ巻 宣る
- 洋子
- 2022年7月27日
- 読了時間: 1分
更新日:2023年7月1日
今の神主が、祓い祝詞をあげても何にもならん。
祓い祝詞は、宣るのだぞ。
今の神主は、宣っておらん。
口先ばかりじゃ。
祝詞も抜けておる。
あはなち、しきまき、国つ罪を、みな 抜かして読んでおるではないか。
祝詞の内容が、心に汚く映り、嫌な氣持ちになる人間が多いからであろう。
自身の中にあるゴモクが刺激されて、嫌な氣になるのじゃ。
偏見があるからぞ。
斜めから見ているからぞ。
悪や学にだまされて、肝心の祝詞まで骨抜きにしておる。
悪を悪と分からず、悪にまみれやすい学を信じておる。
悪とは、大切な祝詞を手前勝手な解釈をして除いてしまったことじゃ。
形式だけの神主、
そろばん勘定をする神主、
鼻高な神主、
上を恐れる神主、
その者たちの祝詞には力がない。
それでは世界は清まらん。
祝詞は読むものではない。
神前で読めば、それで良いと思ってはならん。
宣るのだぞ。
祈るのだぞ。
成り切るのだぞ。
融け切るのだぞ。
神主ばかりではない。
みな 心得ておけよ。
神のことは神主に、仏は坊主にと分けて考えておることが、根本の大間違い。
みなも氣持ちをひとつにして、
溶け切るのだぞ。祈るのだぞ。

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