人は何度も生まれ変わる。
数々の人生で親となり子となり、夫婦となり、兄弟や同胞となって
生まれては死んでゆく。
それぞれの人生で、それぞれの御用をしておる。
人間同士も、世界の民も、みな同胞と申すのはたとえではない。
今の敵も前は友であり、親であり、師であったであろう。
今の友も、過去の人生では敵であったであろう。
何千回も生きておれば、
すべて世界の人間は、神と血がつながっている誠の同胞。
されど同胞同士の喧嘩も時によりけりぞ。
あまり分からぬと神も堪忍袋の緒が切れるぞ。
この道を信じる者がやって来るのを待つばかりではならん。
一人が七人の人に知らせよ。
その七人が済んだら、次の御用がある。
一度聞いたら十を知る人間でないと、御用は務まらん。
十を知る者は、身魂磨きができているから分かるのじゃ。
神がすでにその者と調和しておるから分かるのじゃ。
自分がそうじゃと思う者は慢心ぞ。
我があれば、自分の声を神の声じゃと勘違いする。
因縁の身魂は、どんなに苦しくても、勇んで出来る世の元からの道ぞ。
七人に知らせたら、お役ぞ。
知らせるばかりで、頭にしか入らん者もたくさんおる。
分かったつもりでおるが、
我に振り回されていることに氣づかん者たちじゃ。
道とは知識ではない。
生き方ぞ。
日々の暮らしぞ。
分かって変わるのが本ものじゃ。
自らそれを行い、しっかり伝えよ。
お役の者は、神のじきじきの使いぞ。神柱ぞ。
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