「富士」と名のつく山はみな、神の山。
見晴らし台とは、身を晴らす場所。
見渡し台ではない。
身を晴らすのだぞ。
身を晴らすとは、身体の中に神の靈を入れられるようにすることぞ。
そなたたちの身体の中一杯に、神の力を満たすことぞ。
世界の神の山々を探してみよ。
真理を見出してみよ。
そこは神の米が出てくる場所。
それは先天の氣ともいう。
本来、生き物は先天の氣を授かって生まれてくるが、
その後、増えることはない。
それが無くなると死ぬ。
寿命というものじゃ。
我で生きる者は、その氣を早く使い果たす。
母の胎内でいただいた神の米を大事にしておくれ。
富士という名の山は、神の米を生み出しておる。
されど、それが今では少なくなってきた。
多くの人間の身魂の穢れが引き起こしておる。
それを理解し、早く御魂を磨いてくれよ。
富士を開くとは心に神を満たすこと。
日向(ひむか)とは、神を迎えることぞ。
神を迎え入れた人間は、神の使いとなり、神とともに働く人ぞ。
三千世界からのエネルギーの流れ、大自然のリズムに意識を向けて、 早く真理に氣づいておくれ。
早く心を開いておくれ。
ひむかのお役をする人は、病を治し、人々を神の方に向けさせる人間じゃ。
この真理をよく肝に落とし、間違わぬように伝えておくれ。
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